テレビはよその家で見ていた
日本でテレビ放送が始まったのは1953年、私の生まれた年です。
受像機はまだ高く、個人の家庭のものではなく、街頭テレビ等で普及が図られたようです。
テレビが爆発的に普及する契機となったのは、1959年の当時の皇太子殿下(現上皇陛下)のご成婚と言われています。
ただ、農家は現金収入がほとんどないため、テレビはなかなか手に入らず、私の家にテレビが入ったのは私が小学校2年生の時(1961年)です。
それまでテレビを見る機会がなかったかというと、そういうことはありません。
テレビがある家に見に行っていたのです。
映画「三丁目の夕日」の中で、みんなでテレビを見るシーンがありますが、あんな感じです。
私がよくテレビを見せてもらったのは、近くにあった駄菓子屋さんです。
田舎ですから近所の子供の氏素性は皆知られていますし、子供は駄菓子屋の貴重なお客です。
快傑ハリマオと月光仮面
小学校1年生の時、毎週見に行ったのが「快傑ハリマオ」
火曜日の午後7時半から8時迄の番組で、開始前に駄菓子屋さんのテレビの前に張り付いていました。
私だけでなく、他のテレビが家にない子供が集まり結構盛り上がっていました。
物語の地域(マレー半島)や時代背景等は全く理解していませんでしたが、アクションが楽しかった記憶があります。子供ですから理屈抜きに楽しめればよいのです。
主題歌は当時の人気歌手三橋美智也が歌っていました。
ストーリーはろくに覚えていませんが、「真紅な太陽、燃えている」で始まる歌詞は今に至る迄よく覚えています。
今でもカラオケで時々歌います。
私の世代ではよく知られている歌なのです。
快傑ハリマオは宣弘社の作品ですが、同社の作品で有名なのが「月光仮面」です。
ただこれは私が小学校に入る前の作品で、テレビを見に行った記憶はありません。
マンガを夢中になって読んだ記憶があります。
「どくろ仮面」とか「サタンのつめ」とか、悪役キャラに結構はまっていました。
テレビの代わりに映画を見に行ったことを憶えています。
当時は映画の中で月光仮面が登場するやいなや、万雷の拍手が沸き起こった記憶があります。
テレビも映画もみんなで盛り上がっていたのです。
月光仮面のお面を買ってもらい、マント代わりに風呂敷を首に結び、子供たちで月光仮面ごっこをしてよく遊んだな・・・
我が家にテレビが入ると、さすがによその家にテレビを見にいくこともなくなりました。
貧乏だったけど、なぜか明るく、のんびりとしていた昭和のよき時代の思い出です。