軽便鉄道の思い出
軽便鉄道というものをご存じでしょうか⁉
軽便鉄道(けいべんてつどう)とは、一般的な鉄道よりも規格が簡便で、安価に建設された鉄道のことです。
専用軌道を持っており、市電とも違います。
1970年代にほぼ廃止されてしまったため、知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。
私が幼い頃、この軽便鉄道が家の近くを走っていました。駅も近くにありました。
私が初めて見た電車(電車と言っていいのかわかりませんが)、初めて乗った電車がこの軽便鉄道です。
その名を遠州鉄道奥山線と言い、単純に軽便という名で地元の人に親しまれていました。
地元の私鉄、遠州鉄道が経営しており、浜松市の中心部にある遠鉄浜松駅と奥山駅を結ぶ全長25.7kmの路線です。
終点の奥山駅の近くには臨済宗方広寺派の大本山である方広寺があり、今も参拝客が絶えません。
小学校1年生の時の初めての遠足は、軽便に乗って方広寺に参拝(⁉)するというものでした。2年生以降はどこへ行ったかよく覚えていませんが、この遠足だけはよく覚えています。弁当は母親が作った海苔巻きと稲荷ずしでした。
母の実家が家の近くの駅から3駅先にあり、帰省の度に軽便を利用していました。
また、浜松市の中心部迄乗り入れているため、デパートでの買い物や動物園に行くのにも軽便を利用していました。
当時は松菱という老舗デパートがあり、そこのレストランで食事をすることは憧れでした。田舎者ですから、都会の空気に惹かれるのです。
連れていってもらえたのは1年に1回くらいだったかな・・・
松菱は残念ながら経営破綻してしまい、現在はありません。
浜松市の中心部迄20kmもないのですが、何せトコトコ走るため、1時間以上かかっていたような気がします。
残念ながら1964年11月(前の東京オリンピックが終わった直後)、全線廃線となりました。私が小学校5年生の時です。
現在ほど沿線人口はなく不採算で、モータリゼーションの前に苦戦を強いられたようです。
その後はお決まりのバス路線への転換ですが、本数も多く時間も短縮されたので、不便は感じられませんでした。
存続運動もなかったと記憶しています。
私が通っていた高校は浜松市の中心部にありましたが、通学時間は30分ちょっとでした。
ちなみに軽便の駅も近くにあったようで、高校のそばには当時遺構が残っていました。
もし軽便で通学していたら50分くらいはかかっていたと思います。
www.city.hamamatsu.shizuoka.jp
私の実家の近くにも線路跡が残っていました。
残念ながら今は痕跡もほとんど残っていないようです。
今度帰省したら探してみようかな・・・
幼いころの貴重な鉄道の記憶です。