70年間住み慣れた家を離れる日
今日は母が老人ホームに入る日です。
入居する老人ホームは目と鼻の先にありますが、母は住み慣れた家を離れる事に感慨深めでした。
母はこの家に70年も住んでいたのです。(私が今年69歳になりますから当然です)
老人ホームへ入ることが決まった後の1か月、コツコツと家の整理をしてくれました。
家の先行きもまだ心配なようです。
ただ正月に会った母は足が弱っており、自力で歩けるものの、手すりがないと心もとない様子でした。正直、いつ倒れても不思議ではありません。
一人暮らしですから倒れても自力で救助を呼べません。
そのことを母が一番よく理解しており、私に老人ホームに入りたいと要請したようです。
老人ホームに入っても足が回復することは難しいかもしれませんが、最悪の事態は防ぐことができます。介護付き老人ホームですから、万一車いすが必要な状態になっても、介護してもらえます。
老人ホームに入れば人と話す機会も増えますから(耳が遠いのが難点ですが)、痴ほうにもならないかもしれません。母のきょうだいでも痴ほうの方はいません。
長寿の家系ですから、100歳くらい迄生きてくれるかもしれません。
25年ほど前、母は急性白血病で入院し生死の境をさまよいましたが、奇跡的に回復し今まで元気に暮らしています。生命力が強いのでしょう。
母の貯金と年金では5年くらいでお金が無くなってしまいますので、後は私が負担するしかありません。
でも長生きしてくれるなら、お金は惜しくはありません。ずっと離れて暮らしており、親孝行とは無縁だったので、最後にちょっとだけでも役に立てば十分です。
私とふるさと
母と違って私は実家に住んでいたのは通算して22年にすぎません。
残る46年間は名古屋と東京、千葉、埼玉に住んでいます。
母とは対照的に私はふるさとに対する思い入れがあまり強くありません。
田舎特有の人間関係の濃さが自分の性格に合いません。
無理に合わせるよりも、私には人間関係がドライな都会の暮らしが自分に合っているのです。
どちらが住みよいかという問題ではなく、人それぞれ自分に合った方を選べばよいと思います。
とはいえ、私のふるさとはここしかありません。
離れてみると結構よいところです。
ふるさとを写真で
正月に撮影した写真で簡単に紹介します。
いつもはマイカーで帰るのですが、今年は一人での帰省ですので電車を利用。
一両編成のワンマンカーで、無人駅が多いことから整理券が使われます。
私が子供のころは国鉄二俣線として運行されており、時折蒸気機関車が走っていました。
蒸気機関車が走っていた頃 - リタイアおじさんのシニアライフ (hatenablog.com)
浜名湖の周りを走っているので風光明媚、観光客も訪れます。
気賀駅で下車。
戦前に建築された駅舎で、本屋、上屋及びプラットホームが国の登録有形文化財に登録されています。
気賀 – 天浜線(天竜浜名湖鉄道株式会社) – 日本の原風景に出逢う旅。 (tenhama.co.jp)
駅舎の中も国鉄時代のままです。
改札口も残っています。今は無人駅なので、自由に通れます。
駅のそばにあるのが浜松北区役所。
その昔は私が通学していた中学校でした。
校舎はいつも雨漏り - リタイアおじさんのシニアライフ (hatenablog.com)
役所の近くにあるのが、
気賀関所。残念ながら正月なので休館です。
一応、箱根、新居とともに東海道の三関所と呼ばれていますが、知名度はかなり劣ります。建物は復元されたもので、元々関所があった場所からは600mほど離れた場所に建てられました。私が中学生の頃は田んぼだったと記憶しています。
気賀駅から歩いて5分くらいのところにある細江神社。
戦国時代の創建のようです。
地震の神様を祭る神社です
細江神社 2度の地震と津波乗り越えたご神体:中日新聞しずおかWeb (chunichi.co.jp)
母、弟と初詣をしました。
最後に実家近くのお寺、昔から住職さんはいません。
曾祖母に連れられて、ここで幼い頃遊んでいました。