化石人骨を探したが・・・
高校時代は地学クラブに所属していました。
そこで夢中になっていたのが化石の発掘です。
私が入学する1年前、谷下(やげ)というところで、地学部の先輩がワニの化石を発見しました。
発掘場所は浜松市浜名区引佐町谷下(当時は引佐郡引佐町)にあり、高校からは15kmくらい北にありますが、私の実家からは3km程度の距離です。
私が高校生の頃、このあたりでは化石人骨とみられる骨が発掘されていました。
牛川人(豊橋市)、三ケ日人(浜松市浜名区)、浜北人(浜松市浜名区)の3か所です。
谷下はここから近く、化石人骨が出てきても不思議はありません。
ということで、1年生、2年生の時は7~8人くらいの部員でよく谷下に化石の発掘に行きました。
現場は石灰石の採掘場の近くで、よくダイナマイトの音が聞こえていました。
ただ残念ながら化石人骨は発見できませんでした。
ワニがいっぱいでてきた!
発掘作業の成果が全くなかったかというと、そんなことはありません。
毎回、ワニの化石が大量に見つかりました。
ワニの化石は私が入学する1年前に発見されたのですが、大量に発掘されたのは私が発掘に参加していた頃です。最終的には約10体のワニの化石が見つかったようです。
化石といっても石の中に閉じ込められたものではなく、骨そのものが出土します。
発掘された化石は高校生が研究材料とするのは無理があるので、東京の国立科学博物館に持っていっていました。
化石はワニだけでなく、カワウソや淡水魚の化石も出てきました。発掘時は何の骨かわからず、国立科学博物館で調べてもらったと思います。
ヤゲワニと命名されていた!
高校を卒業してからはワニの化石のことを気に掛けることはありませんでしたが、ネットで近況を調べてみました。
すると、浜松市の文化財情報のサイトにワニの化石のことが出てきます。
文化財情報vol.73/浜松市 (city.hamamatsu.shizuoka.jp)
「約34万年前のワニの化石が、昭和43年に引佐町谷下で見つかりました。その後、約40年間にわたり静岡県立浜松北高等学校生を中心に研究調査が続けられました。化石は発見された地名にちなんでヤゲワニと命名されました。」
と、あります。
私が入学したのが昭和44年です。私の卒業後も後輩の皆さんによって研究調査が続けられてきたようです。
「ヤゲワニ」と命名されたことは初めて知りました。
現在は浜松市博物館にヤゲワニの化石が展示されているようです。
静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド : ワニ,ナウマンゾウの化石 旧石器,縄文時代の出土品 浜松市博物館 常設展示1 (静岡県浜松市中央区蜆塚4-22-1) (livedoor.jp)
「昭和42年(1967年)から5年間、浜松北高地学部によって発掘され、1,000点以上の化石が出土しました。」
とあります。写真も掲載されており、当時を思い出すと感慨深いものがあります。
妻の介護で外出もままならないですが、母の老人ホーム訪問のついでに何とか立ち寄れないかと考えています。
こちらではもう少し詳しく出てきます。
奥浜名湖ツーリズムセンターだより:浜松市博物館 市民協働展「三遠南信土の中のわくわく動物園」9/3迄 (hamazo.tv)
高校時代は深く考えませんでしたが、今振り返ると結構重要な発見であったようです。
沖縄以外で確認された化石人骨は一例のみ
話を化石人骨に戻すと、私が高校時代の頃とは状況が大きく変わりました。
化石人骨とされたものが理化学的鑑定法による再調査で大半が否定されたのです。
従来、更新世人類とされてきた牛川人(愛知県豊橋市)、三ヶ日人(静岡県浜松市)、葛生人(栃木県佐野市)、聖嶽人(大分県佐伯市)については、放射性炭素年代測定とフッ素含有量の測定にもとづく理化学的な調査が行われ、いずれも縄文時代以降の化石人骨である可能性が高くなったのです。
旧石器時代の化石人骨としては、山下洞人(沖縄県那覇市)、浜北人(静岡県浜松市)、港川人(沖縄県島尻郡八重瀬町港川)、ピンザアブ洞人(沖縄県宮古島)などが出土しています。
沖縄以外では現時点では浜北人だけが唯一の化石人骨のようです。
浜北人が出土した場所は私が人骨を探していた谷下とは数キロしか離れていません。
谷下からも人骨が見つかる可能性があったのかもしれません。
ただ浜北人は約1万4千年前のものと推定されていますが、ワニが見つかった谷下の地層は34万年くらい前であり年代が全く異なります。
もし谷下で化石人骨が発見されていたなら原人ということになり世紀の大発見(日本では一例もなし)となりますが、その可能性は限りなくゼロに近かったと思われます。