湯呑に書かれた人生の修行の意味は?
時々食事をする飲食店の湯呑に人生訓が書かれています。



タイトルは人生の修行です。
内容は
苦しいこともあるだろう
言いたいこともあるだろう
不満のこともあるだろう
腹のたつこともあるだろう
泣きたいこともあるだろう
これらをじっとこらえてゆくのが人生の修行である
と書かれています。
昭和時代のおじさんである私には違和感は特に感じませんでした。
でもよく考えると・・・
そもそも誰から誰への言葉でしょうか?
共に苦労する仲間同士なら励ましの言葉として理解できます。
ただその場合なら「人生の修行」などとは言いません。
師匠から弟子へ
上司から部下へ
コーチ(監督)から選手へ
発せられた言葉と思われます。
そうするとこの言葉は、上の立場の者が
「俺の指導は理不尽な面があるかもしれないが、お前たちのことを思って指導している。黙って俺に従え」
と言っているように思えます。

典型的なパワハラです。
現代ではこいういう指導は許されません。
人生の修行などという言葉で理不尽な行為を肯定してはいけません。
我々の世代の多くはリタイアしていると思われ、パワハラをする場面はほとんどないと思いますが、高圧的な態度で相手を困らせることのないよう心掛けねばなりません。
自分自身に対する自戒の念でもあります。

湯呑の言葉は典型的な昭和の価値観というところでしょうか。
湯呑に文句を言ってもはじまりません。
湯呑に罪はありません。

