リタイアおじさんの絵日記

名古屋市在住の73歳。4年間在宅介護していた妻に先立たれたばかりです。

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母はもう少し生きられるかも

母は最悪期から持ち直した

母は7月下旬に骨折で2週間近く入院(手術はせず)の後、老人ホームに戻ると一気に体調が悪化しました。

認知機能の急激な低下(せん妄と思われますが)、食欲の減退(流動食、経口栄養剤でしのぐ状況)、運動能力の喪失(二人がかりでないと車いすに移乗できない)が一気に起こりました。

母の老衰は今年の1月から症状が現れていましたが、一気にステージが進んでしまいました。

8月に入ってからの老人ホームの報告を聞くと、老衰の終末期に入りかけているとしか考えられませんでした。

年を越すのは厳しい、そんな風に感じ、覚悟もしていました。

来年2月には母のひ孫が生まれる予定ですが、とてもそこまでは生きられないだろうと観念していました。

ところが9月に入ると、母は少しづつ持ち直してきました。

食事量が増えてきました。とろみ食はまだ必要のようですが、経口栄養剤は不要になったようです。

栄養状態が改善したため、認知機能も少しづつ改善してきました。話が嚙み合わないのは相変わらずですが、8月よりはしっかりと会話ができます。

何より塗り絵を描き、ゲームにも参加できるようになりました。

立つことはもう無理そうですが、脚の痛みはなく、老人ホームで穏やかな生活を送れるようになりました。

母は老衰の終末期ではなく、後期の安定期にあると考えてよさそうです。

ひ孫の顔を見せてあげられそう

一般的には老衰の兆候(食欲低下・活動量低下)が始まってから亡くなるまでは数週間〜数か月程度が目安のようです。

老衰で死亡するまでの期間は?食べなくなってから数日〜2週間が目安|在宅医が解説|川田会 在宅診療部 在宅医療コラム

ただし、老衰は「一度始まったらすぐに亡くなる」というものではなく、ゆっくり進む人と急速に進む人の幅が非常に大きいようです。老衰の兆候が現れてから亡くなるまでの期間は数か月〜1〜2年に及ぶこともあるとされています。下記厚生労働省の終末期医療の資料でも、老衰は数か月から数年にわたって死を迎える経過があると書かれています。

終末期医療に関するガイドライン骨子案

母に老衰の兆候が現れて10か月近くが経過して、今は老衰後期の安定期に入っていると考えられますが、これは「老衰が1年以上続く人」の典型的な経過のようです。

在宅医療・施設介護の臨床報告などによると

・老衰後期に入って 3〜6か月 生きる人は珍しくない

・半年〜1年近く 穏やかに過ごす人も一定数いる

・特に「痛みがなく、食事が入り、覚醒が保たれている」人は長く安定する傾向がある

ようで、母もこの条件を満たしています。

AIに今後の見通しを問い合わせると

1〜3か月後~今の状態が続く可能性が高い

3〜6か月後~ゆるやかな下降が始まる可能性

半年以降~個人差が大きい

と返ってきました。

年内はこのまま推移し、年明け以降緩やかに下降、桜の季節以降は本人の体力次第ということになるのでしょうか。

母は60代で発症した急性白血病を克服した後、栄養バランスの取れた食事を実践、農作業で体力を維持してきたことから、老衰の進み方に大きく影響する「強さ」と「予備力」が長年積み重ねられてきたのかもしれません。

年齢(95歳)から考えて母が一気に終末期に向かう可能性もありますが、今の状態を考えると年内はもちろんひ孫が生まれる来年2月迄生きられる可能性もそれなりにありそうです。

母にできることは限られていますが、痛みも少なく、それなりの食事を摂り、老人ホームの生活を自分なりに楽しんでいるようです。

母があとどれだけ生きられるかは分かりませんが、今の状態が少しでも続けばいいなと思っています。

生成AIでイラストが作成できず、困った・・・

突然月間作成枚数をオーバーと出て

このブログのイラストは生成AIのMicrosoftのCpilotで作成しています。

いつもの調子でイラスト作成を指示していると、一昨日(26日)こんな文言が表示されました。

1か月の画像作成数は上限があるため、今月はもう作成できないというのです。

Copilotの画像作成機能をもう1年以上使っていますが、このメッセージは初めてです。

最近Copilotがアップデートされたので、その影響でしょうか?

そもそも1か月の作成枚数上限は何枚なのでしょうか?

Copilotに問い合わせるとこんな回答が

教えてくれません。分からないというのです。それも変な話ですが

上限を教えてくれないのであれば、イラスト作成はなるべく減らさないといけません。

それはそれとして、今月はもうイラストを作ってくれません。

とはいえ今月の残りのブログでイラストなしというのも困ります。

どうしたものか・・・

他の生成AIを試してみると

今日、Copilotに「他の生成AIの無料版でイラストが作成できないか」問い合わせてみました。

Copilotの答がこちらです。Copilotと競合するライバルの生成AIになりますが、素直に教えてくれました。

早速おすすめに従ってAdobe Fireflyを試してみました。

できあがったイラストがこちらです。

Copilotと比べて少々時間がかかりましたが、画像は問題ありません。

ちなみに上の困った表情のイラストもAdobe Fireflyで作成したものです。

Adobe Fireflyの無料版(お試し版)では1日4枚の画像が作成できるようです。

とりあえず今月のブログはこれで何とかなりそうです。

次はChatGPT無料版を試そうと思います。

妻の死から1年

昨日は妻の命日

昨日は妻の命日でした。

妻が亡くなって丁度1年が経過しました。

命日といっても、一昨日に一年祭を済ませており特別すべきことはありません。

神棚に手を合わせ、亡くなった妻を偲びました。

思い起こしてみれば、妻が亡くなってしばらくは慌ただしく日が過ぎていったような気がします。

妻のことをじっくり偲ぶ余裕などありませんでした。

昨年10月25日早朝に電話があり自転車で病院に駆けつけましたが、残念ながら妻は亡くなっていました。

koichi68.hatenablog.com

亡くなる1週間前は妻が亡くなるなど思いもよりませんでした。突然の出来事です。

死を意識したのはICUに入った亡くなる3日前です。

妻の亡骸を前にした時は覚悟していたので、ショックはありませんでした。あまりに急な出来事で心の整理はできていませんでしたが・・・

その後はやらねばならぬことで手が一杯です。

葬儀場への連絡、遺体の搬送、亡妻のお兄さん(二人)への連絡などを急ぎ済ませ、その後は葬儀場で葬儀の段取りの打ち合わせです。

翌日はお通夜、翌々日は本葬です。準備も忙しく、悲しみにしたる時間もなかったような気がします。

葬儀後も手続きがいろいろあり、一段落したのは年が明けてからでした。

それから時はあっという間に過ぎていきました。気が付いたら、もう1年が過ぎていました。

介護の4年間は妻とのかけがいのない時間だった

思い起こすのは妻の介護をしていた4年間です。

この4年間は妻との45年の結婚生活の中で、最も濃密な時間を過ごしました。

それ以前は仕事をしていたこともあり、妻とゆっくり過ごす時間はあまりありませんでした。休日になると家族で食事にいくくらいです。

妻を介護するようになると、デイサービスの日以外は朝から晩まで妻と一緒にいました。妻は車いす生活で、できることは限られていますから、常に私がそばにいないといけません。

でも妻を介護するのはそれほどつらいことではありませんでした。

むしろ妻を介護していた時の方が生活が充実していたような気がします。

自分だけで自由に外出することはできませんが、工夫すれば室内で自分なり楽しむ時間が持てます。メリハリの利いた生活ができていました。

妻の車いすを押しながら一緒に花見をしたり、外食したり、喫茶店に行ったりして二人だけの生活を結構楽しんでいました。

介護の4年間は意外につらい思い出がありません。

むしろ二人だけの濃厚な時間が過ごせたような気がします。

この1年間は介護もなく、自由気ままな生活を送っています。

旅行に行くなど妻を介護している間にできないこともやれるようになりました。

でも、結局は一人ぼっちの寂しい生活です。

喜びも悲しみも分かち合えるパートナーと一緒に暮らせることが一番なのです。

妻を亡くして、それをいやというほど感じさせられました。いまさら気づいても遅いのですが。

失ったものの大切さをひしひしと感じた1年だったのかもしれません。

雨も止み、亡妻の一年祭(一周忌)が無事終了

まずは自宅の神棚にお参りを

昨日は亡妻の一年祭(仏教の一周忌)の日でした。

本来の儀式は神職に自宅まで来てもらい、神棚前で祝詞奏上をしてもらった後、墓前に移動して再び神職による祝詞奏上となります。

今回は霊園の住職による法要を予定しており、神職による祝詞奏上は行いません。

とはいえ自宅で何もしない訳にもいきません。

まずは神棚のお供えを一新し、お参りです。

瓶子にお酒、水玉に水、皿に塩と米を入れ、榊立てには新しい榊を入れました。通常は造花の榊ですが、この日は生花の榊です。

昼に東京から長男が戻ったので、一緒に神棚に拝礼しました。

午後は雨が止むも法要は本堂で

昨日は昼まで雨が降っていましたが、午後から雨が止みました。二日前の住職との話で墓前法要にするか本堂で法要するかは直前の天候で判断することになっていました。

墓前法要もできそうですが、どんよりした曇り空で、いつ雨が降り出しても不思議はありません。判断が難しいところです。

私と長男は2時50分くらいに霊園に到着、娘二人も直後に霊園に着きました。

しばらくすると住職も葬儀から帰ってきました。

結局、住職の意向で、いつ雨が降り出してもおかしくない天気を勘案し、本堂で法要することになりました。

開始予定時刻(午後3時半)の10分前には義兄二人も到着、法要が始まりました。

本堂へは初めて入りましたが、仏像が並び、神式(一年祭)というより完全に仏式(一周忌)法要の雰囲気です。どことなくアウェー感があります。

開始前に住職から「神道の方のようですが、仏式で進めてよいですか」との問い合わせがあり、了承しました。

僧侶に神職の代わりをさせる訳にはいきません。

お経は30分ほどしっかり読んでいただきました。

その後は個別に焼香して法要は終了です。

結果的に本堂の法要で助かりました。

というのも下のお義兄さんの脚が随分悪くなっており、墓前法要だと立っているだけで大変だったと思います。

また本堂内には参列者全員(6名)の椅子を用意していただいたのもありがたかったです。

墓前は神式で拝礼

その後も雨が止んでいたので、参列者全員で亡妻のお墓にお参りしました。

お墓の場所を教えておけば、今後義兄が名古屋に用事で来た時、私を気にせずお参りができます。

もう住職さんはいないので、こちらは二礼二拍一礼の神式で拝礼しました。

本堂での法要に使った花のお下がりを花台に添えておきました。

直来の後はコメダで一服

法要の後は和食店で直来(会食)をしました。

神道では祭礼や神事が終わったあとに行う飲食の場が直来(なおらい)です。

仏教でいう「精進落とし」にかなり近いものです。

今回は仏式の法要が主だったので精進落としと呼ぶべきかもしれませんが、そこまでこだわってもあまり意味はなさそうです。

食事が終わると、義兄は車で帰路につきました。

和食店からの帰り道、私と子供3人は駅前のコメダ珈琲で一服しました。たまたま長男がクリームコーヒーを注文したので、亡妻のことを思い起こしました。

亡妻はコメダのクリームコーヒーが大好きで、よく車いすに乗せて連れていっていました。亡くなった年は入退院を繰り返していたので、一度も連れていってあげられなかったのが心残りです。

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こんな感じで神式と仏式が混じった一年祭(一周忌)が無事終了しました。午後から雨が止んでよかったです。一区切りがつきました。

妻の死に寄り添った二日間

少しでも妻の傍にいようと

昨年10月22日、妻はICUで治療を受け病室に戻りました。

医師の話からも妻が長くはないと悟りました。

翌日から医師と看護師長さんに無理を言って、面会時間外(平日の面会は午後3時から)にも病室に入ってもいいかお願いし許可を得ました。それだけ妻の状態が深刻だったのです。

10月23日(丁度1年前)は午前10時半に病院に行き、17時半迄病室にいました。

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大半はベッドでベッドで眠っていましたが、眼を開けると私を見て微笑んでくれます。

会話はほとんどできませんでしたが、何となく心は通じ合っている気がしました。

ただ痰吸引の時は戦場でした。

看護師さんが奥に詰まっている痰を取り出そうとしますが、妻が痛がって抵抗します。

痰吸引を止めれば看護師さんも妻も楽になるのですが、それでは妻の窒息の危険が増します。まともに見ていられませんでした。

翌日(24日)も6時間くらい病室にいました。

この日は痰吸引も少なく、前日のような凄惨な事態を見ることはありませんでした。

前日より目が開いている時間が多かったような気がします。

ただ話はできず妻はぼんやりと私を見つめていました。

「お父さん(私の事)」と話しかけて何か言いたげな表情も見せていました。

もう妻に話をする力は残っていませんでした。命の灯が消えかかっていたのかもしれません。妻も何となく分かっていたのだと思います。でもつらさは感じられませんでした。

病室で静かに時間が過ぎていきました。

夕方、病室を去る時が結果的に妻との最期の別れとなりました。

その時の表情をしっかり覚えている訳ではありませんが、穏やかな表情だったと思います。

翌朝(25日)、病院からの電話で急ぎ病院に駆けつけたのですが、残念ながら妻は息を引き取っていました。

妻は前日と同じような穏やかな表情をしていました。

死に目にはあえませんでしたが、その前の二日間妻の傍に寄り添えたので、それだけで十分です。

私に妻と一緒にいることを認めてくれた病院には感謝しかありません。