痛みに耐えた31年間だったけど
妻が関節リウマチを発症してから亡くなるまでを整理すると、こんな感じになります。
1994年1月 関節リウマチ発症
1994年8月 大学病院での治療に切り替える
1999年6月 左人工関節置換手術
2005年2月 身体障害者手帳4級取得
2008年4月 右人工関節置換手術、 身体障害者手帳3級に
2011年4月 脊柱後側弯症手術
2021年7月 自宅で倒れ、救急車で大学病院へ。自力で歩けず、車いす生活となる
2021年8月 介護認定申請、要介護5と認定される
2021年9月 再び倒れ病院へ、一旦自宅へ戻るも血尿が出たため入院。膀胱留置カテーテル装着。退院後、訪問介護、訪問リハビリ、訪問診療、デイサービスを開始
2022年1月 身体障害者手帳の等級が1級に上がる。特別障害者手当の受給が認定される
2025年10月 死去
手術のたびにできることが少なくなりました。
特に2011年の脊柱後側弯症手術は12時間を超える大手術で、以後は自転車に乗ることができず自力での移動が制限されました。
それでも痛い足を使って何とか自力で歩いていましたが、2021年から車いす生活になり、自力ではごく僅かな事しかできなくなりました。
楽しみを活力に
関節リウマチ発症後、妻は自分の命が長くはないことを自覚していました。発症時、次女はまだ幼稚園でしたから、何とか成人するまでは生きていたいというような話をしていました。
そんな状況でしたが妻は発症から30年以上も生きることができました。前回のブログに書いたように20年も生きるのが精一杯の病状だったにもかかわらず、もう10年生きたのです。
その要因は何だったのでしょうか?
私はそれを痛みを受け入れたうえ、その中でできる楽しみを探して生きてきたことにあると考えています。

妻が車いす生活になる前に楽しんでいたのがコンサートに行くことでした。
「超新星」というK-Popグループの大ファンで、ファンクラブにも入っていました。
名古屋にとどまらず、新幹線に乗って遠征もしました。
手足が痛いのも何のその、東京から広島まで、いろいろなところに出かけていきました。
コンサートへは常に次女が同伴です。荷物を持ったり支えたり、妻のサポートは欠かせません。
私も一度だけ妻のコンサートに同行しました。会場は幕張メッセでしたが、9割以上が女性で、ましてやおじさんなど見当たらず、居場所がなく恥ずかしかった思い出があります。
普段は歩くのにも苦労しているのに、コンサートとなるとスタンディングでペンライトを持って応援していました。好きなことになると、急に元気が出て足に力が入るようです。

海外旅行も好きで、私や子供たちと一緒に行く相手を変えながら、中国、韓国、香港、グァムなどを旅行していました。
国内旅行は私が車に乗せて連れて行きました。近くて宿が取りやすい京都を中心に、年に3~4回は旅行に行っていたと思います。
妻はあまり歩けないので観光はあまりできませんが、グルメなど楽しみはいっぱいあります。
残念ながら、車いすになってからは旅行も難しくなりました。
京都に1回行っただけです。

車いす生活になっても楽しんでいたのが外食です。歩けるうちは車で近郊のレストランに頻繁に出かけていました。
車いす生活になってからは車を手放したので、車いすで行ける近場の飲食店が中心になりました。それでも月に数回、娘たちと一緒に外食を楽しんでいました。
また、コメダのクリームコーヒーが大好きで、春と秋の季節のよい時期に妻をよく連れていきました。
今年は入院が多かったので、一度も行けなかったのが心残りです。

最後に中国ドラマと韓国ドラマの鑑賞。
これは家の中で車いすで見られるので、毎日のお楽しみでした。
1日6~7時間くらいは視ていたと思います。
最期の入院となった9月の入院前迄、毎日の生活は中国ドラマと韓国ドラマが中心でした。

毎日が痛みとの闘いだったかもしれませんが、私は笑顔の妻をよく見ていました。
つくり笑いではなく、心の底からいろいろ楽しんでいました。
病気だからと嘆くのではなく、限られた時間を思い切り楽しもう
そんなポジティブな生き方がリウマチ発症後31年間も妻を生きさせたような気がします。
決して暗いつらい人生だったとは思いません。
ちょっと短い人生だったけど、長生きした人と変わらない人生を楽しんだと信じています。

