昭和の終わりはワープロ専用機の時代
パソコンの普及は平成に入ってからのことです。
ただ私のいた銀行でも昭和の終わり頃には支店にパソコンが置かれるようになりました。
IBM5550シリーズと呼ばれるものです。
ただ用途は1日の勘定の集計や支店の収益見込みの計算に使われる程度で、さほど活躍の場はなかったような気がします。
値段も100万円以上したようで、個人の手に入るようなものではありません。
これに対し当時ビジネスの世界で活用されていたのがワープロ専用機です。
文書の作成はビジネスの世界では欠かせない仕事です。
私が銀行に入った当時、文書は手書きで作成するものでした。
英文タイプライターはあっても、日本語タイプライターは使いづらくほとんど普及していません。
当時のパソコンはワープロとしては使いづらく、表計算機能が主体でした。
文章を作成することに特化したワープロ専用機はビジネスの世界では画期的な商品だったのです。
ワープロ使用で仕事の効率は格段に向上
私は年号が平成に変わる直前の1988年暮れに、本店営業部から産業調査や大口貸出先の企業調査をする部署に異動しましたが、そこには10台以上のワープロ専用機が所狭しと並んでいました。富士通のワープロ専用機OASYSシリーズです。
私は新しい部署で業界動向や大口貸出先の財務内容レポートを作成していましたが、ワープロに随分助けられました。
手書きの文書とワープロ文書の違いは、見た目が大きく異なることです。
活字の文書は読みやすいだけでなく、見た目がよいので説得力があります。
そして今ではごく初歩的な機能である「複写」「移動」、これがあるだけですごく助けられました。ただマウスは付いていませんので、カーソルをうまく使う必要があります。
文字の文章は直すのが大変です。特に構成を変えるとなると、いったん全て消しゴムで消して、また新たに書かねばなりません。前に書いた文章を忘れてしまうこともあります。手書きで文章を書いていた者にとっては「複写」「移動」は夢のような機能だったのです。
更にワープロはひらがなを漢字に変換してくれます。難しい言葉も使いやすくなりました。
そして忘れてならないのが保存できること。ワープロ本体にも保存できましたが、その頃には3.5インチフロッピーディスクが普及してきたのです。
保存容量1.4MBは現在のUSBメモリと比べればとてつもなく小さいですが、白黒文書なら結構な量を保存できます。紙の文書と比べて場所を取りませんし、探すのも楽です。
文書を作成するということでは革命的な出来事だと思っています。
なお、OASYSにはカルクという表計算ソフトが付属していました。
現在のExcelと比べれば機能は稚拙ですが、電卓を使って計算するよりは各段に便利でした。
銀行で使っていたOASYSは結構高額なものでしたが、個人向けの安価なものも販売されていました。私も1990年に個人用のOASYSを買いました、金額は15万円くらいしたと思いますが、家で仕事をすることも多く、結構重宝しました。
なにせ印刷機能付きです。
年賀状もワープロで作成です。
当時ワープロで年賀状を作成する人はまだ少数派でした。
住所が印刷できるので、無精な私には宛名を書かずに済み助かりました。
やがてパソコンに押されて役割終了
こうしてワープロ専用機は昭和の終わりから平成の初めにかけて全盛期を迎えましたが、長くは続きませんでした。
1995年各段に使い勝手が向上したWindows95パソコンが登場したのです。搭載されている
ワープロソフト(Word、一太郎)もワープロ専用機に見劣りしません。そうなると汎用性に優れたパソコンの方がはるかに便利です。
ワープロ専用機はあっという間に姿を消してしまいました。
それでもビジネスの世界でワープロ専用機の果たした役割は決して小さくないと思っています。
手作業中心の事務作業を機械に移行する先駆者としての役割を十分するくらい果たしていました。
私もワープロ専用機に習熟していたおかげで、パソコンに慣れるのもさほど時間がかかりませんでした。