リタイアおじさんのシニアライフ

名古屋市在住の72歳。4年間在宅介護していた妻に先立たれたばかりです。

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妻が亡くなって3か月

死後の手続きは一段落

妻が亡くなったのは昨年の10月25日、もう3か月が経過しました。

短いような長いような微妙な時間です。

亡くなった直後は手続きのため動き回っていましたが、もう一段落しています。

最も時間と手間のかかった預金の相続手続きについては、今月15日迄に子供たちへ相続分を振り込んで完了しました。

遺産分割協議書も作成し、相続人4人各自で保管するようにしました。遺産分割協議書自体は預金の相続手続きには必ずしも必要ではありませんが、税務対策上(私の口座に一旦入金し子供たちに分配しているので贈与と疑われるのを避ける必要がある)及び後日の紛糾を避けるためには作成しておいた方が無難です。書式に定めはありませんが、国税庁のホームページからひな形をダウンロードして作成しました。

保険関係については死去後すぐに保険会社に連絡して手続きを依頼したことから、1カ月もたたずに保険金が払い込まれてきました。

役所関係では社会保険料(健康保険料、介護保険料)や年金、特別障害者手当で未精算分が発生しましたが、逐次振り込まれてきました。1番時間のかかった年金も今月には振り込まれてきました。

後はこれを踏まえて確定申告をすれば処理は終了となります。既にインターネット(e-tax)で申告用の数字の入力は終えており、確定申告の受付が開始されれば(2月16日)データを送信して申告完了となります。

なお今ごろになって、妻が利用していたクレジットカード会社から請求分が決済できないということで督促が届きました。たった774円ですがコンビニで支払いました。

預金は名義人が死去すれば即口座が凍結されるので、クレジットカードの決済もできなくなります。カード会社への請求は後から届くので、後処理が結構面倒です。

高齢になったらクレジットカードは解約した方が無難かもしれません。

介護のない生活にも慣れ

妻が亡くなったことで不本意ながら4年半続いた介護からは解放されました。

当初はとまどいもありましたが、介護のない生活にも慣れてきました。

今は介護のために失った時間を少しでも取り戻そうとしているのかもしれません。

もちろん妻の事を片時も忘れたことはありません。

今月も二度お墓参りに行きました。

ただ、いつまでも引きずるわけにはいきません。

私ももうすぐ73歳、あとどのくらい元気でいられるかわかりません。

元気なうちにやり残したことをできるだけして、悔いが残らないようにしたいと思います。

貴重な残り時間を精一杯生きたいと思います。

 

母の状態は楽観できないが・・・

緊急時は妹に託し・・・

昨日夕方、老人ホームの施設長から電話がかかってきました。

午前中に連絡をくれたのは女性職員さんで、その後の経過を含めて改めての連絡です。

部屋で倒れている母を職員さんが発見した時は、一歩遅れていれば命が危なかったようです。血圧は上が60くらいしかないような状況だったようです。

その後は回復し、夕方は食事を摂取することもできたようです。

とりあえず病院には連れていかず、施設で様子をみるとのことです。

入所者は母を含め全員2階に居住しているのですが、常時監視できるように1階に移したとのことでした。

老人ホームからは今後病院に緊急搬送が必要になる可能性も高いことから、その場合には至急家族の誰かに病院に駆け付けて欲しいとの依頼がありました。

本来は私が駆け付けないといけないのですが、名古屋在住で車もないため困難です。

このため老人ホームの近くに住んでいる妹にお願いしておきました。

病院では延命治療について問われる可能性が高いため、「延命治療は不要」と答えてくれるよう伝えました。

母が老人ホームに入る直前、亡父の時の経験もあり延命治療についての意向を母に直接確認しています。

koichi68.hatenablog.com

延命治療のメリットは、家族が身体的な負担・時間的な制約から解放されることや終活を行う猶予ができることですが、高齢ですのである程度の対応はできており、無理に延命をする必要はありません。

もしその時が来たら、静かに逝かせてあげたいと思います。

いずれにしても、もうすぐ95歳になる母の体は限界にきているようです。

いつその日がきてもおかしくないよう覚悟はできています。とりあえずの介護・看護は老人ホームに託し、経過を見守ろうと思っています。

娘を連れて面会に行こう

とりあえず私にできることは少しでも多く面会に行ってあげることくらいです。

その際は娘(母にとっては孫)を一緒に連れていこうと思います。

父が亡くなる1カ月ほど前、娘二人を連れて見舞いに行くと大層喜んでくれたことが思い出されます。亡父は認知症で亡くなる直前は家族も認識できているか怪しげでしたが、あまり会わなくとも孫の顔はしっかり覚えているようです。

長男は先月、私と二人で面会に行ったばかりですが、娘二人は2年ほど母の面会に行っていません。

母があとどれだけ生きられるか分かりませんが、悔いが残らないよう早めに連れていこうと思います。

本当は私と娘二人の3人で面会できればよいのですが、1回の面会人数は2人に制限されているので、時間をずらして一人づつ連れて行こうとと思っています。

母が少しでも元気を取り戻してくれると嬉しいのですが・・・

 

母の状態が心配だけど

認知症が少しづつ進んできているらしい

今朝、母が入所している老人ホームの職員さんから電話がかかってきました。

一時的に意識を失ったようです。

その後意識は回復したようですが、これが二度目だということであり、少々心配です。

職員さんによれば、少々認知症の傾向がでてきたようです。

先月半ばに私が訪問した際は認知症の傾向は全く感じられませんでした。パズル本を持っていくと喜んでいました。

とはいえ近くにいる職員さんからみると、少しづつ痴ほうが進んでいるのが感じられるようです。大好きな編み物もうまくできなくなってきたようです。

母は来月には95歳になります。

今まで認知症がほとんど見られなかったのが不思議なくらいです。

受け入れるしかありません。

私がどうこうできる訳ではなく、老人ホームにお世話していただくしかありません。

これからは頻繁に母の面会に行くことくらいが私にできることです。

12月14日に会ったばかりです。その時は元気でした。



つながる命

今年はつらい年だったけど

もうすぐ今年も終わりです。

今年を振り返ればつらい1年だったとしか言えません。人生で一番つらい年だったのかもしれません。

45年連れ添った大切な伴侶を亡くしました。悲しいといった言葉では言い表せない感情があります。

年の初めはいつも通りの平穏な日々が流れていました。妻の介護も慣れているので特に負担は感じていません。

それが5月に妻が入院(憩室出血)してから一気に流れが変わってしまいました。

その後7月、8月と2週間程度の入退院を繰り返します。

9月に3か月連続で入院した時はさすがに妻の体調に不安を感じました。

それでも生命の危険があるとまでは思っていませんでした。

残念ながら10月の末には妻は帰らぬ人となってしまいました。

それから2か月、妻の遺したものと自分の気持ちを整理しながら生きてきました。

とはいえ、いつまでもこんな気持ちを引きづって生きるわけにもいきません。

来る年に向けて希望の光も見えてきました。

初孫の顔が見られそう

今月に入り長男の奥さんの妊娠が判明しました。

まだ妊娠1か月なので先は長いですが、順調にいけば秋には孫の顔を見られることになります。私にとっては初孫です。

もちろんずっと孫の誕生を待ち望んでいたのですが、長男夫婦には子供をつくる気があるかさえ聞いていませんでした。育てるのは長男夫婦、子供をつくるかどうかは長男夫婦が決めればよいことです。親がどうこう言うことではありません。

それだけにこの知らせを聞いた時は暗いことがあったばかりなので、喜びもひとしおでした。

それにしても妻が亡くなったばかりの時に新しい命を授かったことに何か運命的なものを感じます。

亡くなる命もあれば生まれてくる命があり、それがつながっているような気がします。

今は無事初孫が誕生することを祈っています。妻に初孫を見せられないのは残念ですが、天国で喜んでくれると思います。

来年は大きな希望が見えてきました。きっといいことがあると信じています。

 

 

看護師さん、療法士さん、ありがとう

看護師さんが弔問に

22日(月)にこれまで亡妻がお世話になった訪問看護師さん(2名)が弔問にきてくれました。

その後は亡妻の話題を中心に1時間ほど話が弾みました。

私はお世話にになった4年間の感謝を伝えました。

訪問看護師さんやリハビリをしてくれた理学療法士さん・介護療法士さんのおかげで私の介助が随分助けられました。

特に私が感謝しているのは亡妻がこの4年間、本人なりに楽しく過ごせたということです。

訪問看護が入る前、妻の体調は最悪だった

訪問看護が始まったのは2021年の9月です。その前2週間ほど大学病院に入院しており、退院した直後から訪問看護に入ってもらいました。

妻が倒れて車いす生活になったのはその2か月前です。

訪問看護の導入に2か月かかったのは、介護等級判定に時間がかかったうえ、等級(要介護5)が決定した時には入院していたこともあります。

この頃の妻の状況は最悪でした。

排尿障害の影響から食欲が著しく減退、体重は30kgを切る寸前まで減ってしまいました。大学病院の医師が処方してくれた経口栄養剤エンシュアを飲んで、かろうじて最低限の栄養を確保している状況でした。命の危険も感じていました。

9月上旬に退院した時、排尿障害の問題は膀胱留置カテーテルの導入で解決しましたが、体力は落ち込んでおり、おむつ替えはベッドの上、車いすへの移乗もしっかり支えてあげないとできない状態でした。

シャワー浴もできず、訪問看護導入時は清拭介助しかできませんでした。

訪問看護が始まった頃、看護師さんから少し元気になったら何をしたいと問われた妻の回答は

コメダに行ってクリームコーヒーを飲みたい」

というものでした。

車いすで外出して飲食をすることさえ困難なように思えたのです。

私自身もこんな状態ではこのまま在宅介護を続けていけるのか不安でした。

お先真っ暗というところです。

訪問看護とリハビリで妻のできることが増えた!

訪問看護事務所からは看護師の他にリハビリのため理学療法士作業療法士も派遣してくれました。

訪問介護とリハビリが始まると、妻は少しづつできることが増えてきました。

1カ月ほどで手すりを使って立ち上がることができるようになり、シャワー浴もできるようになりました。

車いすへの移乗もできるようになり、妻を乗せて外出も始めました。

食欲も少しづつ回復してきたので外食もできるようになりました。

10月下旬にはデイサービスへ行くようになりました。

そして2か月経過した11月中旬、トイレで用足し(大便)ができるようになりました。

これで私の介助負担は一気に軽減しました。

年が明ける頃には食欲も元気だったころの8割程度は食べられるようになりました。

暖かくなった5月にはコメダ珈琲店に行き念願のクリームコーヒーをいただきました。京都に二泊三日の旅行に行ったのもこの頃です。

その後紆余曲折はあったものの、今年の春までは同じような状態で過ごすことができました。

要介護5とはいえ妻が最低限の事はできたので、介助はそれほど大変ではありませんでした。妻も不自由ながらも外食など精一杯できることを楽しんだと思います。

残念ながら妻は帰らぬ人となりましたが、この4年間は二人だけの時間を楽しむことができたと思っています。

4年前の危機的な状況を考えれば、この4年間は奇跡的な時間だったかもしれません。

訪問看護師さんや理学療法士さん、作業療法士さんには改めて感謝の言葉を送りたいと思います。

ありがとうございました。