天浜線に乗って
母の入居する介護付有料老人ホームは実家の近くにありますが、、私の住む名古屋からは約90kmも離れています。車なら東名高速道路を使って1時間半くらいで到着しますが、車を手放した今では公共交通機関を利用するしかなく、3時間近くかかります。地下鉄⇒名鉄⇒JRと乗り継いだ後、東海道線新所原駅から天浜線に40分ほど乗って気賀駅で降り、徒歩10分ほどで老人ホームに着きます。
天浜線は天竜浜名湖鉄道㈱が運行するローカル線で、掛川駅から新所原駅の間67.7kmを結んでいます。
駅は39もありますが、うち32駅は無人駅です。
輸送人員は年間115万人(2020年度)、1日当たりの利用者は3千人ほどです。通学の利用が多いようです。
通勤通学時間帯は1時間に2本走っていますが、その他の時間帯は1時間に1本しか走っていません。
1両のワンマン列車で、整理券を取って乗り込み、降りる時は前のドアから整理券、切符、運賃を運賃箱に入れます。交通系ICカードは使えませんので、両替の必要がある時など結構不便です。
私が利用するのは土曜か日曜ですので、学生はあまり見かけず、かなりすいています。もちろん必ず座れます。観光客と思しき乗客を時折見かけます。
私が利用する新所原・気賀間は浜名湖に沿って走るため、車窓から浜名湖が見られます。のんびり旅をされる方には、風情があって楽しめると思います。
私にとっては、不便さはありますが、母に会いにいくためには無くてはならない鉄道です。
子供の頃は蒸気機関車が走っていた
二俣線は東海道線の迂回路として建設され1935年運行を開始しました。1987年から事業を天竜浜名湖鉄道が引き継ぎました。
私が子供の頃はまだ二俣線の時代で、ディーゼル車両が運行していました。(赤字ローカル線なので電化も複線化もされていません)運行本数は今の天浜線よりも少なかったと記憶しています。(1時間半に1本程度だったでしょうか)
その当時、二俣線をディーゼル車だけでなく、蒸気機関車(SL)がまだ現役として走っていました。
主な用途は貨物運搬用ですが、時折客車も引っ張っていました。もちろん観光用ではありません。
小学生の頃、私も何度かSLが引っ張る客車に乗ったことがあります。
今ならかなり貴重な体験ですが、その頃は特に感慨もありませんでした。そもそも小尾学生の頃はディーゼル車とSLしか乗ったことがありません。電車に乗ることの方が稀でした。私が生まれ育ったところが田舎だったのです。
もちろんその当時もSLは既にかなり珍しい乗り物だったようです。東海道新幹線は私が小学校5年生の時に開業、国鉄の主要幹線は電化、複線化されていました。私が大学を卒業した1976年にはSLは全廃されたようです。今は観光用として大井川鉄道などで運行しています。
そんなSLの思い出というと・・・
私が通っていた中学校は二俣線気賀駅の近くにありました。
校庭から時折SLが走っているのが見えました。駅にもSLが停まっていました。
体育やクラブ活動で校庭にいると、停まっていたSLが汽笛を鳴らして動き出す場面にしばしば出会います。SLから出る真っ黒な煙が校庭に立ち込めることもよくあり、服も灰色に汚れてしまいます。朝礼中にSLの煙で校庭が真っ暗になったこともあったと記憶しています。
そんなこんなで私にはSLはあまりよい思い出はありません。旧時代の遺物という感覚でしょうか。
子供の頃は新幹線に乗るのが夢でした。その夢がかなったのは高校生になってからです。