母の老人ホームへは天浜線に乗り
母を老人ホームに見舞う際には、JR新所原駅から天竜浜名湖鉄道(天浜線)に乗車します。
天浜線は天竜浜名湖鉄道が運行する鉄道で、掛川駅と新所原駅を結んでいます。静岡県内では唯一の全線非電化の旅客鉄道路線です。
ただ、浜松市の中心部には向かいませんので、通勤の足には不便です。
駅の数は39もありますが、そのうち32駅は無人駅です。1日当たりの乗客数は3,000人程度で、朝夕を除けば1時間に1本のペースで1両編成の列車が運行しています。主として学生さんが利用しているようです。
私も実家へ帰る際は車を利用していたので、天浜線を利用する機会はほとんどありませんでした。2年前に車を手放したことで母の見舞いのために利用することになりました。。といっても年4~5回利用するに過ぎません。土曜日の利用ですが、席はいつも空いています。
昔は蒸気機関車が走っていた
もっとも社会人になる前は時々利用していました。当時は天浜線ではなく、旧国鉄の二俣線として運行されていました。
二俣線は軍事上の理由(東海道線が浜名湖付近で普通になった際の迂回路線)で建設され1935年に開業しましたが、戦後は赤字ローカル線となり1987年に第三セクター(天竜浜名湖鉄道)に移行しました。
二俣線当時はディーゼル車が主体でしたが、蒸気機関車(SL)も走っていました。
SLは貨物運送が主体と記憶していますが、旅客を乗せても運行していました。
私も子供の頃(小学生か中学生は定かではありませんが)SLに乗った記憶があります。
当時は既に主要幹線で電化が進んでおり、SLも姿を消しつつありました。
今から考えるとSL乗車は貴重な経験ですが、当時は何の感慨もありませんでした。
田舎の子供ですので、小学生の頃は東海道本線にすら乗ったことがありません。
SL自体は見慣れていたので、レアなものとは思っていませんでした。
SLが走ると校舎は真っ黒
私が通っていた中学校の傍に二俣線の駅がありました。校庭に隣接していました。
SLもよく停車していました。
SLが動きだす際は汽笛を鳴らし、真っ黒な煙を吐きます。
はたで見ていればのどかな光景ですが、現実はそうではありません。
朝礼や体育の時間に校庭に出ていると悲惨です。
汽笛一斉とともに校庭一帯が煙に包まれ周りは真っ黒、着ている服も煤で真っ黒になってしまいます。(風向き次第ではありますが・・・)
そんな経験があり、私にとってSLにあまりいい思い出はありません。
二俣線のSLは1971年3月末をもって廃止されました。私が高校3年生になる時です。
大学に入ってからは名古屋市内に下宿していましたが、実家から名古屋に向かう際は二俣線で豊橋駅に出て(二俣線は豊橋駅に乗り入れていました)、そこから名鉄に乗っていました。
もう、その時にはSLは走っていません。
あと数年廃止が遅かったら、またSLに乗ることがあったかもしれません。
そうしたら私のSLに対する心象も変わっていたかもしれません。