商家の子と農家の子
最近親ガチャという言葉が若い人のSNSで使われて話題になっているようです。
私だって子供を虐待するような親の元には生まれたくありませんが、金持ちの親の元に生まれたかったというのはさすがに違和感しかありません。
私が生まれ育った町は中心部に古くからの商店街があり、その周りを田畑が囲んでいました。
小学校に上がると、親が商店の子と農家の子がほぼ同じくらいいたでしょうか。
私は農家の子ですが、ある時ふと同級生の服をみて気づきました。自分と比べると随分と良い服を着てきます。
どうやら親が商店の子はおしゃれな服を着ているようです。それに比べ自分を含め農家の子はダサイぼろの服をきています。
外見だけではありません。食事も違うようです。
当時の農家は自給自足の色が濃く残っており、畑で取れる野菜が主体です。肉や魚は滅多に食べられません。唯一食べられるのは飼っていたニワトリの卵と、卵を産まなくなったニワトリを解体した鶏肉くらいのものです。
何せ、農家の現金収入はごく僅かだったので、食事に割くお金はたいしてありません。
一方、商店の子は肉や魚もふんだんに食べているようです。話していると食べたことのない食材の名前がいろいろでてきます。
農家の子は商家の子との間に経済格差があることに気づいていました。ただ、羨ましいと思うことはあっても、親ガチャして商家の子に生まれ変わりたいと思うことはありません。実家の周りは農家ばかりで、皆同じような生活をしていたからです。学校へ行っても半分は農家の子ですから、自分がとりたて貧しいと感じることもありません。
ただ、農家の子は皆、農家を継ぎたくはないという思いを抱いていました。月給取り(サラリーマン)になってお金を稼ぎ、もっと良い生活をしたいという憧れが強かったのです。
これに対し、商家の子は親の店を継ぐという子が大半でした。当時は巨大スーパーもなく、個人商店でも農家に比べれば結構羽振りのよい生活ができたのです。
人生、何が幸いするかわからない
大人になると、商家の子は親の店を継ぎ、農家の子はサラリーマンになりました。
サラリーマンといっても、私のように親元を離れた者と、実家に残って休みに農家を手伝っていた者がいます。
それから10年、私が30代になった頃、実家のあたりでも巨大スーパーが進出し、商店街はしだいにさびれていきました。(どこも同じような状況と思いますが・・・)
40代の頃には、商店街に昔の面影はなく、子供の頃遊んだ友達の店も次々閉店していきました。
その後はどうしているのでしょうか。40代あたりで商店の経営者からサラリーマンに転じるのは結構厳しいものがあります。
店を継がなければ良かったかもしれませんが、当時の状況はそれを許さなかったのかもしれません。
一方、実家の周りは昔のままです。農業をしているのは年寄りばかりですが、サラリーマンとして収入を得ている人が多く、皆それなりの生活をしています。
結果的には貧乏な農家の子がそれなりの生活基盤を築き、商家の子は割を食った感じです。
昭和40年代は高度成長期で収入の少ない農業は先の展望が開けず、昭和50年代になると流通が大きく変わって個人商店は衰退に向かいました。
商家の子も農家の子も生まれた時代が違ったなら、全く別の人生になっていたかもしれません。生まれる時代を誰も選ぶことはできません。
それでも戦前に生まれていたら、もっと過酷な人生になっていたかもしれません。
逆に今は経済的・物質的には豊かですが、私の生まれた時代の方が貧乏ながらも経済成長期で先の展望があり、のんびりしていてよかったようにも思えます。
人は生まれた環境で精一杯生きていくしかなく、うまくいかないことを親のせいにするなど論外と思うのですが・・・