もう2年が経った
7月8日は妻が倒れて車いす生活になった日です。丁度2年前のことです。
午後5時頃、ガタという大きな音がして妻がいる居間に行くと床に妻が倒れていました。
急いで救急車を呼び、通院している大学病院に運んでもらいました。
その日は病院で応急措置と検査をしてもらって夜9時過ぎに帰宅することになりました。
その時から妻は一人では歩けなくなりました。病院からタクシー乗り場迄は車いすを借り、タクシーを降りてからは私が妻を抱えて部屋に連れていきました。
翌日も大学病院に行き、丸1日をかけ整形外科、脳神経外科、膠原病内科で治療と精密検査を受けました。
検査の結果骨折はないとの判定でしたが、自力では歩けません。家には車いすもありませんから急いで車いすを手配し、その翌日から妻の車いす生活が始まりました。
2か月間の介護は試行錯誤
ここから私の介護生活が始まった訳ですが、当初は相談相手にも事欠き、試行錯誤の状態でした。
当時の妻の介護レベルは要支援2で、介護保険を使おうにもできることは限られています。まずは要介護認定を受けねばなりません。
定期的に訪問してくれているいきき支援センター(地域包括支援センター)の職員さんに連絡を取り、要介護認定申請書(要支援⇒要介護)の作成とケアマネージャーさんの紹介をお願いしました。
7月13日付で申請書を提出、21日には認定調査とここまでは順調でした。
ところがお盆の時期を挟んだこともあり、認定結果がなかなか届きません。介護区分が決まらないとケアマネさんもケアプランが作成できません。
訪問看護も訪問介護も利用できませんので、私が妻の介護をするしかありません。妻の状態も一番悪い時期で、介護経験のない私にとっては悪戦苦闘の毎日でした。
要介護認定申請の結果が届いたのは、申請から1か月以上を経過した8月21日のことでした。判定結果は要介護5でした。
これでケアプラン作成に動けると思った矢先の8月23日、妻が大学病院の入院したためケアプランの作成は病院での判断を踏まえてからということになりました。
介護の枠組みができたのは妻が倒れて2か月後
妻が退院したのは9月3日、この日からケアプランが動き出しました。退院直後我が家で、ケアマネージャー、訪問看護師、介護用品レンタル会社による関係者会議が開かれ介護方針が決まりました。
まずは介護用ベッドとマットレスをレンタル、寝起きや車いすへの移乗、紙おむつの取り換え等の介助がしやすくなりました。
9月4日からは訪問看護師の訪問が始まり、その後は理学療法士によるリハビリ、訪問医による診療、デイサービスの利用と今に至る介護体制が出来上がりました。
倒れてから2年、妻の健康状態は当時と比べると大分よくなりました。(残念ながら歩くことはできませんが)
妻の介護にかかわってくれた方々のおかげと感謝しています。
特に訪問看護師さんは週2回の訪問ということもあり、健康管理の相談や介護の仕方の指導等でたいへんお世話になっています。
これからも妻の介護はずっと続きます。ケアマネさん、訪問看護師さん。訪問医の先生、理学療法士さん、デイサービスのスタッフさん、介護用品レンタル会社の職員さん等に頼りながら介護を続けていきたいと思います。